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#0092『お茶漬けの味』小津安二郎監督 1952年日本

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#0091『雨月物語』溝口健二監督 1953年日本

雨月物語

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ネタバレです。

妖しい映画の虜になってしまったので、もう一本。。

溝口健二監督の『雨月物語』。1953年のヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を獲得してますね。この年は、最高賞である金獅子賞は該当なし。同じく銀獅子賞受賞作には、フェリーニの『青春群像』やマルセル・カルネの『嘆きのテレーズ』などの名が見えます。また、銅獅子賞にはイヴ・アレグレの『狂熱の孤独』。うーん、これは確か植草甚一氏が著書で紹介していた映画ではなかったか。これも見たい、なぁ。

さて、『雨月物語』。ラストの宮木(田中絹代)の語りで不覚にも泣いてしまった。作品評をいろいろ見ていると、やはりそこで泣いた人はいるようで、少し安心。

上田秋成の「雨月物語」は9つのお話からなる連作物語だが、溝口版『雨月物語』は、その中の二編をミックスして映画化したもの。

貧しい陶工源十郎(森雅之)は、戦のドサクサに紛れて粗製濫造の焼き物を高値で売りさばき、商売の味を占める。貧乏から抜け出したい、妻宮木(田中絹代)にもきれいな着物を買ってやりたい。その一心で源十郎は、妻の心配をよそに、義弟藤兵衛・阿浜夫婦も伴って二度目の商いのため長浜へ向かう。しかし、戦が激しく道中が危険となったため妻宮木と息子源市を引き返させる。あとの三人は旅を続け、ついに商いは大成功をおさめる。

源十郎は、陶器を買い求めた良家の姫君若狭(京マチ子)に誘われるまま、彼女と侍女右近(毛利菊枝)が住む朽木屋敷に長逗留し、ついに若狭と相愛の仲となる。しかし、実は彼女らは無念の思いから甦ってきた死霊たちであった。老僧の助けを借りてからくも逃げ出した源十郎は、すべてを失って故郷の我が家に帰りつくが。。。

若狭を演じている京マチ子は大映の看板。美しい顔立ちと抜群のプロポーションで海外でも人気があり、カンヌやヴェネチア、米国アカデミー賞でも名を知られた大女優であった。先日観た溝口監督の『赤線地帯』(56)では、横紙破りだが憎めない娼婦役を演じ、その肢体の魅力をふりまいたが、今回は能面のような化粧にあでやかな着物を着こなし、その雰囲気と存在感だけでも十二分に魅力的。

あの世とこの世が交じり合い、生きている者と死んでいる者が同様に存在するという世界観は、日本独特のものではないのだろうが、少なくとも西欧風の即物的モンスター世界などとは一線を画して、非常にスピリチュアルかつ幻想的で日本人の感性に訴えかけてくるものがある。

死霊若狭は、織田信長に攻め滅ぼされた一族の姫。女としての幸せを知らぬまま死んだ若狭を不憫に思った侍女右近(こちらも死霊)が、せめて一度だけでも男に愛される幸せを味あわせたいと願い、若狭を連れてあの世から舞い戻ってきたのである。死んでもなお癒せない悲しみや無念が迷いとなって、死者を生前と同じ美しさでこの世に存在させている。その危うい存在を演じる京マチ子妖しさは素晴らしい。

しかし、迷いがあるのはなにも死んだものばかりではない。生きている人間も同様で、金儲けに目のくらんだ源十郎、武士にあこがれるばかりで地に足の着かない藤兵衛、娼婦に身を落とす阿浜と、登場人物みんなが煩悩を抱えている。

その中で宮木だけが、夫の身を案じ、息子を守り、ただただ家族の幸せを願っている。田中絹代の素朴な容姿と台詞回しが実に甲斐甲斐しく映って彼女に感情移入することはなはだしい。生きている者、死んだ者の煩悩が入り乱れる中で、唯一私欲のない宮木はこの世界を超越した存在である。そしてその宮木こそが死霊の誘惑から目覚めた源十郎の、唯一帰るべき先であった・・・はずだった。

源十郎が足取り覚束ず、宮木の名を呼びながらようやく自宅に戻ってくる。久々の我が家は荒れ果て、廃屋となっている。源十郎が家の入り口をくぐる。妻宮木の名を何度も呼び、”誰もいない囲炉裏端”を過ぎ、裏口に出る。

源十郎の姿を、溝口流長回しでカメラが追う。裏口を出た源十郎は、宮木を呼びつつ、もう一度家の外を表口に向かう。カメラは室内から窓外を狙い、表に回る源十郎を途切れることなく捉え続ける。そして源十郎が再び表口から入ってくる。宮木の名前を呼んでいる。

カメラがもう一度囲炉裏端に差し掛かると・・・、炉端には灯がともり、そこに宮木がいて、温かい鍋を煮ながら夫を出迎える。もうこの時点で、私は涙目状態。この場面はすごすぎる。

源十郎は、大いに喜び宮木を抱き、子を抱き、何度も詫びつつ、酒に酔う。宮木は甲斐甲斐しく鍋をよそい、源十郎の世話を焼く。。。

もちろん、この宮木は幽霊である。

彼女は源十郎と別れて国に帰る途中、わずかな握り飯を狙って襲ってきた落武者に、槍で突き殺されていた。しかし、彼女は、自らの無念のためではなく、自分を忘れて帰らなかった夫を出迎えるために甦ってきた。今は庄屋の家に引き取られている息子源市と源十郎を引き合わせるために、あの世から帰ってきたのである。

生死を越えて夫を気遣う、宮木の健気さが哀しい。酔いつぶれて寝てしまった源十郎と子の横で、夫のぞうりを揃え、物思いに沈む様子で繕い物を始める宮木。破れ戸から徐々に日の光が差し込み朝を迎えるシーンのはかなさ。

源十郎は煩悩に取り付かれ、魔物に魅入られていたとはいえ、その代償はあまりに大きかった。朝になってすべてを察した源十郎は、宮木の墓にすがって泣き、人が変わったようにひたすら仕事に精を出すようになる。

あの世から聞こえる宮木の語り。

墓で泣く源十郎を励まし、焼き物の仕事を手伝えることを喜び、ようやく訪れた家族の幸せに安堵する宮木の語り。

  いろいろなことがありましたねえ。
  今、あなたはやっと私の思うお方になって下さった。
  と・・・、思ったとき、私はもう、この世の人ではなくなっていたのです。
  これが、世の中というものでしょうねぇ。。。

なぜ、宮木の生きている間に、源十郎はこの幸せを味あわせてやることが出来なかったか。お互いを思いやりながら、気が逸り、魔がさし、源十郎は宮木を死なせてしまった。しかし、死んでもなお宮木は・・・いかん、また泣きそうだ。。。

人ごとではなく女房は大事にしなければいけないとも思い。。。まあ、それはさておき。

しかし、日本映画は素晴らしいですねえ。しばらく、邦画でいきます。溝口健二、小津安二郎、黒澤明、やはりこのあたりから。★★★★★

<スタッフ&キャスト>
監督:溝口健二
製作:永田雅一
企画:辻久一
原作:上田秋成「雨月物語」
脚本:川口松太郎/依田義賢
撮影:宮川一夫
美術:伊藤熹朔
編集:宮田味津三
作詞:吉井勇
音楽:早坂文雄
助監督:田中徳三
出演:京マチ子/水戸光子/田中絹代/森雅之/小沢栄太郎
    青山杉作/羅門光三郎/香川良介/上田吉二郎/毛利菊枝
    南部彰三/光岡龍三郎/天野一郎/尾上栄五郎/伊達三郎
    沢村市三郎//横山文彦/玉置一恵/藤川準/福井隆次
    菊野昌代士/大美輝子/小柳圭子

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雨月物語
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#0090『嵐が丘』吉田喜重監督 1988年日本

嵐が丘 デラックス版
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前回の記事『蜘蛛巣城』で少し触れた、吉田喜重監督『嵐が丘』の記事を”カルトでも~”から転載しておきます。『蜘蛛巣城』の完成された妖しさにはずいぶん興奮しましたが、この作品も序盤の雰囲気は負けていないと思います。松田優作田中裕子の狂気の演技も見ごたえ十分でした、重ね重ねがい骨が残念・・・(こだわりすぎなのか)。

以下転載文。

エミリー・ブロンテ原作の『嵐が丘』を、日本の鎌倉時代に舞台を移した吉田喜重監督初の時代劇。吉田監督は28年間この構想を暖めていたそうだ。

映画全体にいかにも日本的な陰々とした雰囲気が充満していてかなり好み。富士の太郎坊で撮影されたというロケの場面は、画面に火山灰の丘の斜めのラインをうまく映し込んでおり、さびしい荒野の不安な感じがすばらしい。また、精巧な館のセット内のシーンでは、柱や梁で垂直水平に画面を区切るショットが多く、明暗のコントラストも鮮やかにキリッと引き締まった感じがして、映像に関する吉田監督のこだわりが伝わってくる。

主演の二人の演技について、吉田監督は「狂気がある。その狂気を増幅するように演出した。」と語っているが、松田優作の般若のような激しさや、田中裕子の能面のような妖しさが映像の暗さと見事にマッチして、一種独特の吉田ワールドに触れるだけでも一見の価値があるかもしれない。

ストーリーは、ワイラー版がキャシーの死で実質的に物語を終えているのに対して、こちらはむしろ絹(田中裕子)が死んでからが本番。絹や兄秀丸の子供たちの代まで含めて三代にわたる狂った愛憎の物語となっている。

また、ワイラー版では、キャシーの意思でヒースクリフを捨てエドガーを選んだのだがその心模様がわかりにくかった。吉田版では、主人公絹の家は山の神に仕え、大蛇神事を司る山部一族と言う設定で、そもそも絹に鬼丸(松田優作)と結婚する自由はない。一族の女性のさだめに従って都で巫女になるよりは、同じ地の分家に嫁いで鬼丸と遠く離れ離れにならずに済む道を選んだということでストーリーとしては因果がわかりやすい。

ウィリアム・ワイラー版には今ひとつ満足できなかったのだが、本作品の映像・演技・ストーリーにはまずまず満足。概ね気に入っていた。にほんブログ村 映画ブログへ

ところが、後半どうしても我慢できない部分がある。

絹の安っぽい骸骨は見せなければいけなかったのか。これを見た瞬間に、スーッと映画から気持ちが離れていくのがわかった。これだけ作品全体に能にも通ずるような幽玄な雰囲気を作り上げてきたのに、なぜ見るからに作り物とわかるちゃちな小細工を入れ込まなければいけなかったのかさっぱりわからない。

その後、松田優作の演じる鬼丸はどんどん狂気を増していき、ラストに向かって盛り上がっていくのだが、映画が盛り上がるほどに”どうせ作り物”という意識のギャップが大きくなって鑑賞熱が冷めてしまった感じ。冷めてくるとストーリーの粗も目立つ。悪循環だ・・・。

ワイラー版と比べても遜色ない出来で、ことヒースクリフ=鬼丸の”狂気”という点では吉田版の方が素晴らしいと個人的には思う。それだけに、あの骸骨だけが残念。ヒッチコックの大失敗作”山羊座の元に”のアボリジニの乾し首を思い出してしまった★★★☆☆

<スタッフ&キャスト>
監督:吉田喜重/製作:高丘季昭
プロデューサー:山口一信/企画:高丘季昭
原作:エミリー・ブロンテ「嵐が丘
脚本:吉田喜重/撮影:林淳一郎
美術:村木与四郎/衣裳:山田玲子
編集:白江隆夫/音楽:武満徹
助監督:中島俊彦
出演:松田優作/田中裕子/名高達郎/石田えり
    萩原流行/伊東景衣子/志垣太郎/今福将雄
    高部知子/古尾谷雅人/三國連太郎


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#0089『蜘蛛巣城』黒澤明監督 1957年日本

蜘蛛巣城

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スクリーンに狂気とか、妖しさなどの漂う映画はめちゃくちゃ好きです。

ヒッチコック作品などの日常世界にふと生まれる狂気のシチュエーションとか、一部の優れたSF映画が持つダークな未来像なども魅力的。『吸血鬼ノスフェラトゥ』や『魔人ドラキュラ』などの怪物的異次元世界なども良い。

その中でも、日本人的な感性による幻のような妖しさ、陰々とした世界観には、DNAに直接働きかけてくるような一種独特の魅力を感じます。ちょっと抵抗し難いくらい。

今まで記事を書いた中では、吉田喜重監督の『嵐が丘』などがまさにそういう世界観で楽しめました(難もありましたが)。そして、吉田監督は、ほぼ間違いなくこの『蜘蛛巣城』の影響を受けて『嵐が丘』を作っただろうと思われます。

妖しい、妖しい~、はじめから最後まで妖しい。霧の中に蜘蛛巣城が浮かび上がるオープニング(バックの笛の音がまた素晴らしい)。すべての愚かしい物語が終わって再び城が霧の中に消えていくエンディング。”妖しいもの好き”の私の心を思い切りわしづかみにしてくれました。絶賛。

風が吹きすさび霧が立ち込める荒地に立つ山城、蜘蛛巣城。人を惑わす迷路のような森。森の奥に降りしきる雨。ラスト近くの霧の中から迫りくる森の木々。ぞくぞくしますねぇ。屋敷の板間の寂しいばかりの簡潔さ。障子に流れ映る松明の人魂のような怪しさ。武士たちの装束。物の怪。そして、浅茅。

浅茅の能面のような顔。うすら笑い。一歩踏み出した時の鼓の響き。歩くに連れた衣擦れの音。痺れ薬の入った酒を持ち、襖の奥の闇から浮かび上がってくる。

ああ、すべてが妖しい。素晴らしい。

物の怪に城主となるべく未来を予言された鷲津武時(三船敏郎)は、話を聞いた妻浅茅(山田五十鈴)にそそのかされ、主君を殺して城主の座を奪い取る。だが、結局は罪悪感に押しつぶされて自滅していく。

浅茅を演ずる山田五十鈴三船敏郎の二人の演技の妙にしばし呆然。黒澤監督は、武時と浅茅の二人の関係を見事に映像化します。

物腰静かでありながら、浅茅はあくまで理論的で野心的で。しゃべってもほとんど唇を動かさない。表情も変えない。身じろぎひとつせず、瞬きすらしない。

それに対して、豪胆に見えながら実は欲に目がくらみ小心物の武時。そんな自分の本性を隠すかのように常に声が大きくアクションも表情も派手。一見豪胆な大言や大笑が虚しい。三船敏郎の演技はもともと大げさ気味ではあるのですが、ことこの武時の性格を表現するには、これしかないというくらいの名演技。

浅茅が武時をそそのかす場面、静かに語る浅茅と騒々しく動き回る武時の対比が、浅茅に操られる武時の愚かさをこれでもかというくらい鮮明に描写します。特に浅茅のせりふをバックに武時一人が画面で動作するシーンになると、もう哀れで見ていられないほどにその関係が如実になります。

北の舘のがらんとした板間で見せる主君謀殺にいたる二人のやりとりは、双方の演技がぴしゃりと噛みあってこその名場面。操る浅茅も踊らされる武時も、共に強欲で浅ましく愚かです。

武時の最後は、言わずもがなの例の場面。主君を殺し、友を殺し、その罪の意識から乱心の末、ついに家臣の忠誠を失くした武時。まさに、宿敵が寄せてこようという城内で、裏切った家臣たちから雨あられと矢を見舞われるシーンは、思わず身を乗り出すほどの大迫力。弓の名人を多数集めて本物の矢を射たそうです。三船敏郎が不眠症になったという話もあるそうです。そりゃそうでしょうね。動き回る三船を掠めるように矢が突き刺さります。悲鳴を上げ、目を吊り上げ、刺さった矢を掻きとろうとする動作が壮絶でした。形相が変わっていました。

良いなぁ。脚本、演出、演技、映像、音楽、美術、編集・・・、すべてから醸し出されるこの雰囲気。なんと、妖しい。これぞ映画。これこそが映画ですねぇ。しびれた。良かった。★★★★★

<スタッフ&キャスト>
監督:黒澤明
製作:本木荘二郎/黒澤明
原作:ウィリアム・シェイクスピア『マクベス』
脚本:小国英雄/橋本忍/菊島隆三/黒澤明
撮影:中井朝一
美術:村木与四郎
音楽:佐藤勝
記録:野上照代
照明:岸田九一郎
特殊技術:東宝技術部
出演:三船敏郎/山田五十鈴/志村喬/久保明/太刀川洋一
    千秋実/佐々木孝丸/三好栄子/浪花千栄子

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黒澤明


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