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#0122『大いなる幻影』ジャン・ルノワール監督 1937年フランス

大いなる幻影
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2006年9月に掲載した当時は、同じくルノワールの『素晴しき放浪者』の伸び伸びとした魅力が忘れられず、あまりこの作品の記事が書けませんでした。でも、今から思い直すとしみじみといい映画でしたね。国境を越えていくラストシーンも◎。

以下、転載文。

ネタバレ気味です

名作ですね。しかし、個人的に『素晴しき放浪者』からルノワール作品に触れたために、あまりの正統派ぶりに”えっ”って感じがしているのも確か。初球にものすごいフォーク見せられて、二球目も変化球に構えてたらど真ん中のストレートで思わず腰が引けて見逃した、ってそんな感じですか。

捕虜収容所でのフランス将校ボアルデュー大尉(ピエール・フレネー)とドイツ将校フォン・ラウフェンシュタイン大尉(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)の交流が心に残りますね。

貴族としてお互いに尊敬しあいながらも、脱出を図るボアンデューを阻止しようと、ラウフェンシュタインは彼を拳銃で撃ちます。ベッドに横たわるボアンデューを見舞うラウフェンシュタインの心情が悲しくてね、ボアンデューが亡くなった後に、大事にしていたゼラニウムの花を切るラウフェンシュタインの姿は記憶に残る名シーンだと思います。

1937年といえば、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の「望郷」と同じ年の作品。どちらもジャン・ギャバンが出演していますが、彼の魅力は「望郷」の方に軍配が上がるかなと感じました。ここではやっぱりエリッヒ・フォン・シュトロハイムとピエール・フレネーが全然素晴らしい。

それと、脱出のためのトンネル堀りで彫った土を外に捨てて熊手で地ならしするところや、収容所長が捕虜の脱走歴を読み上げるところなんかは、『大脱走』lに影響を与えてるみたいですね。

ただし、脱出手段としてトンネル堀りがど真ん中に描かれていた「大脱走」とちがって、トンネル完成直前に他の収容所に移されてしまって、もう一歩で完成だったトンネルがなんの役にも立たないあたりは、やっぱりフランス映画は一筋縄じゃいかないもんだと妙に感心してしまいました。★★★★☆

<スタッフ&キャスト>
監督:ジャン・ルノワール
脚本:ジャン・ルノワール/シャルル・スパーク
撮影:クリスチャン・マトラ/クロード・ルノワール
音楽:ジョセフ・コズマ
 
出演:ジャン・ギャバン/ピエール・フレネー/
エリッヒ・フォン・シュトロハイム/ディタ・パルロ/
ジュリアン・カレット/マルセル・ダリオ/ジャン・ダステ/ガストン・モド

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(2006/12/14)
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#0121『サボタージュ』アルフレッド・ヒッチコック監督 1936年イギリス

サボタージュ
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前回に引き続き2006年1月の記事。ヒッチコック痛恨の一本となってしまった『サボタージュ』を転載します。主演女優のシルヴィア・シドニーについて一言も触れていませんが、その後フリッツ・ラング監督の『暗黒街の弾痕』を見て大ファンになってるんですよね。この作品ももう一回観ないといけませんな。


以下、転載文


街のしがない映画館主ヴァーロック(オスカー・ホモルカ)の正体は破壊工作員。同居している妻(シルヴィア・シドニー)も義弟スティービー少年(デズモンド・テスター)もそのことを知らない。うすうすその事実に感づいているスコットランド・ヤードは近所の青果店に店員として刑事を送り込み、常に監視を続けている。ある日、ピカデリーサーカスでの爆弾テロを請け負ったヴァーロックだが、刑事の目が厳しく時限爆弾を運ぶことができない。年端も行かないスティービー少年をだまして爆弾を運ばせることを思いつくのだが・・・

破壊工作員・ヴァーロックはかなり魅力的。オスカー・ホモルカは、この作品が映画デビューですかね。1898年生まれとありますから製作時は38歳。後にはマリリン・モンローの『七年目の浮気』や『戦争と平和などに出演しています。

こわもてながら意外と意気地なしで、後半に見せるいかにももっともらしいが責任逃れ以外の何ものでもない妻への言い訳が、”小物のテロリスト”という感じをよくあらわして良い。

同時期の『三十九夜』『バルカン超特急』などに比べると、ヒッチコックらしいシャレが少なくちょっと重い感じがします。毎度のことながら、このテロリスト集団が何者で、何を目的として活動しているのかなど背景は明らかにされていないので、観客の意識は完全に"少年スティービーと時限爆弾の成り行き"がどうなるのかに集中するのですが、その部分のストーリー作りにヒッチコックは大きな後悔を残した作品となってしまいました。・・・なんて書いても観ていない人には全然何のことかわかりませんよね。困ったな。

要は、この映画でヒッチコックは自分自身のサスペンス哲学のタブーを犯してしまい、そのことで当時の映画ファンからもかなりたたかれたということなんですが、私の筆力ではネタバレしないと書けませんので、下の方に完全ネタバレで改めて書かせていただきます。(とはいっても、allcinemaの解説で全部ネタばらしちゃってますけど、しかも解釈がなんか変だし^^;。)にほんブログ村 映画ブログへ


ともかく、佳作であることは間違いません。ヒッチコックが後々まで失敗を悔やんだ映画として興味のある方はぜひご覧ください ★★★☆☆

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(2006/12/14)
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以下は、完全にネタバレしていますので、ストーリーを知りたくない方は読まないでください。

ということで、この映画の最大のクライマックスは義弟スティービー少年が、そうとは知らずに時限爆弾を持ち歩くシーンです。警察の目を恐れるヴァーロックは、黒幕からくれぐれも失敗するなと念を押されたにもかかわらず自分で爆弾を持ち出すことができません。スティービーに映画フィルムを届けさせるという口実で時限爆弾も持たせて、ピカデリーサーカスの荷物置き場に13:30までに届けるよう指示します。実はこの時限爆弾13:45に爆発するようセットされており、ヴァーロックは15分の余裕を見て頼んでいるのですが、この余裕15分というあたりが慎重なようなそうでもないような、ヴァーロックの中途半端な悪人振りを象徴しているように見えます。

スティーヴィー少年は、めったに行けないレストランでステーキを食べさせてもらって有頂天になっている姿などもあどけなく、愛嬌たっぷりの少年。その少年が爆弾を抱えて歩き回っているだけでも観ている方はハラハラしてくるのですが、子供なるがゆえに途中いろいろ道草を食います。その姿もまた少年らしくて観客はだんだん少年をかわいく思えてくる。それと平行してなんども時計の映像が映し出されます。ますます、「ああスティービー、早くしないと爆弾が・・・」と観客はドキドキ緊張してきます。

で、ヒッチコックはこの少年を満員のバスもろとも爆弾で吹っ飛ばして殺してしまったわけです。にほんブログ村 映画ブログへ


ヒッチコックはエッセイでサスペンスについて、「実は観客は本当の惨劇を望んでいない」と語っています。ハラハラどきどきしながらも、観客は主人公が本当に死んでしまったりすることはないと"知っており"、最後には危機を脱することでアー良かったと満足する、それがサスペンスの醍醐味であると語っています。本作は観客が完全にかわいい少年スティーヴィーに感情移入してしまっている状態で爆殺してしまったわけで、観客のサスペンス心理を大きく裏切ることになってしまいました。

結果は、世の中からの非難がかなりあったようで、「あのデブを爆弾の上に座らせろ!」などと過激な投書などもいただいたようです。そのようなことがあり、ヒッチコック自身この映画をあまり好ましく思っていないということです。

主役クラスの登場人物を結構残酷に殺してしまって。。。なんてストーリーは今の映画ではさほど珍しくもないのかもしれませんが、当時の社会や人々の倫理観などからみても受け入れられるものではなかったのかもしれません。昔の映画はそういう多くの制約やタブーの中で知恵をしぼって脚本・演出を工夫しているから面白いのだとも言えるのでしょうか。

事件についてのヴァーロックの言い訳は自分勝手の極み、悪役も大物ならもう少しモノの言いようがあるだろうと思えるほど卑怯な言い逃れ。ヴァーロックの小物振りをくっきりと表現するホモルカの演技がすばらしい。

まあ、弟を殺されてあの言い訳を聞かされたら、殺してやりたいと思う妻の気持ちもわからなくもありません。が、本当に殺してしまうのも少し復讐としてはダイレクトすぎて工夫に欠ける感じもしました。警察の捜査に対して夫に協力するそぶりを見せておいて土壇場で裏切って暴露するとか、そういう展開かなと予想してたんですけど。

ラストは、『恐喝(ゆすり)』と同じく、罪を告白して罰を受けようとするヒロインをその恋人役の警官がかばってことはうやむやに・・。これって、ハッピーエンドじゃないですよね。ヒロインにとっては残酷な結末なのでした。

<スタッフ&キャスト>
監督: アルフレッド・ヒッチコック
製作: マイケル・バルコン
原作: ジョセフ・コンラッド
脚本: チャールズ・ベネット/イアン・ヘイ
撮影: バーナード・ノールズ
音楽: ルイス・レヴィ
出演: シルヴィア・シドニー
    オスカー・ホモルカ
    ジョン・ローダー
    デズモンド・テスター
    ジョイス・バーバー

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#0120『間諜最後の日』アルフレッド・ヒッチコック監督 1936年イギリス

間諜最後の日
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2006年1月にアップした記事です。ヒッチコックイギリス時代のスパイ映画。サマセット・モームの原作でしたか。ほとんど内容に関する記述がないのですが、今振り返ってもストーリーとかあまり記憶にないんですよね。ヒッチコックらしいサスペンスシーンは結構あったような覚えがありますが。。。

以下、転載文。

第一次大戦下、ドイツとアラブの接近を阻止するため、敵スパイ暗殺指令を受けたブロディ。腕利き保険調査員“アシェンデン”として助手”モンテズマ将軍”とともにスイスに向かうが、ターゲットについての具体的情報は何もない。もう一人の女スパイエルサと合流して調査を続け、何とか探し出したターゲットを登山に連れ出して始末する。ところがこれは人違いであり関係のない民間人を殺してしまったことが判明する。

ヒッチコック作品は、事件にまったく関係のない民間人がちょっとしたきっかけで巻き込まれるパターンが多く、本物のプロのスパイを主人公にするのは結構珍しい。

主役のアシェンデンを演じているジョン・ギールグッドは、イギリスで主に舞台を中心に活躍した俳優。『炎のランナー』の校長やってた人ですね。本作のころはまだ30歳そこそこですが絵に描いたような二枚目。このころはすでにシェイクスピア劇で高い評価を得ており、同じ36年には「ハムレット」の名演がありました。

調べてみるとギールグッドは、エミー賞(TV)、グラミー賞(音楽)、アカデミー賞(映画)、トニー賞(演劇・ミュージカル)のすべてを受賞した数少ない俳優の一人でした。プロデューサーや作曲家なども含めて今までに9人しかいない4冠受賞で、その中にはオードリー・ヘップバーンやバーブラ・ストライサンド(合計16回受賞!)、ライザ・ミネリ、ウーピー・ゴールドバーグなどの名前が見えますが、純粋に役者として4賞を受賞したのは彼を含めて3名ほどしかいないようです。

4年後にハリウッドに渡ったヒッチコックは、アメリカ社会におけるサスペンス映画の地位の低さに悩まされ、一流の俳優から出演を断られて四苦八苦することになりますが、1930年代のイギリスではすでにかなりの地位を得ていたのでしょうか。若いヒッチコック監督がギールグッドのような舞台の一流役者を起用できたことに感心しました。

そしてお気に入りのピーター・ローレですが、今回はアシェンデンの助手、怪人“モンテズマ将軍”。別名”ハゲのメキシコ人”。ショートアフロ(パンチパーマ?)にドーランを塗って変な英語をしゃべります。女と見ると誰でも口説く軽いノリですが、実は暗殺などのダーティな仕事を一手に引き受ける凄腕スパイ。にわかスパイのアシェンデンをリードして任務遂行を助けます。

もともと、芸達者で作品ごとにまったく異なる雰囲気を漂わせるピーター・ローレですが、今回の役柄はひときわ愉快でした。軽くおどけた表情の合間に時々見せる、凄みの効いた暗殺者の顔が絶品。

この作品、多少ストーリーの盛り上がり感に欠けるのですが、ギールグッドとローレの名演技に大いに助けられているなと感じました。(ラストシーンのローレの扱いはあんまりだ)。ということで、★★★☆☆

<スタッフ&キャスト>
監督:アルフレッド・ヒッチコック
原作:サマセット・モーム
脚本:チャールズ・ベネット
撮影:バーナード・ノールズ
音楽:ルイス・レヴィ

出演:ジョン・ギールグッド
   パーシー・マーモント
   ピーター・ローレ
   マデリーン・キャロル
   ロバート・ヤング
   リリー・パルマー


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#0119『ソイレント・グリーン』リチャード・フライシャー監督 1973年アメリカ

ソイレント・グリーン
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この映画も1973年ですよね。ちょうど一人で映画を見始めたころで、いろんな予告編に自然と目が行くころでした。上のポスターの絵がまさにそれなんですけど、この作品の予告編が暴動を起こした群衆を鎮圧部隊がショベルで”駆除"するシーンで、ものすごく怖かった覚えがあるんですよ。背筋がゾゾ~~っとする感じ。結局予告編だけを怖がって、本編は見逃していたのですが、実に35年を経てようやく鑑賞することができました。

いやー、地味なSF。今のCG全盛時代にこれを「SF映画です」って言ったら怒られそうなほど地味。いかにもSFらしい特撮もほとんど目に付きません。

ストーリーにしても映像にしても非常にシンプル。ですが、当時子供心にわけもわからず怖かった、その原因はわかりました。 

たとえば、ショッキング・ホラーとかでおどろな殺人鬼が出てきて、登場人物を理由もなく惨殺する。これも確かに怖いんですが、それでも殺される人は人間として、少なくとも生き物として殺される。だって、殺人鬼もそこらに転がってる岩とかに襲いかかったりしませんから。

でも、ショベルでかき集められる人たちは、土くれとかこわれた冷蔵庫とか、ビニール袋に入った生ごみとかとまるで同じ。男だろうが女だろうが、幸せだろうが不幸だろうが、友達たくさんだろうが一人ぼっちだろうが、病気だろうが元気だろうが、そんなのまったく関係なし。生きている人間が、ただ機械的に無機的に処理されていくのってかなり怖い。

他にも”HOME”の安楽死プログラムとか、”家具”って呼ばれてる高級住宅付属の美女とか(今女性をこんな扱いしたら、いくら映画でも大問題ですよね。”生む機械”どころじゃない)。それからもちろんソイレント・グリーン(緑色で四角い板みたいな加工食品ね)の××とか。

とにかく、テッテーして非人間的なのがこの映画のすごいところ。人口爆発により人間があふれかえっている未来世界が舞台。人間の数が増えれば増えるほど社会は非人間的になっていく。その事実はやはり不気味であります。エンディングに、”HOME”で安楽死させるときのきれいな風景画像が写りますが、あれはきっと笑顔の係員が、瀕死のソーン(チャールトン・ヘストン)を安楽死させているシーンに違いない。

我が愛するエドワード・G・ロビンソンの遺作でもありました★★★★☆

<スタッフ&キャスト>
監督:リチャード・フライシャー
製作:ウォルター・セルツァー
ラッセル・サッチャー
原作:ハリー・ハリソン
脚本:スタンリー・R・グリーンバーグ
撮影:リチャード・H・クライン
音楽:フレッド・マイロー
出演:チャールトン・ヘストン
    エドワード・G・ロビンソン
    リー・テイラー=ヤング
    チャック・コナーズ
    ジョセフ・コットン
    ブロック・ピータース
    ポーラ・ケリー

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#0118『舞踏会の手帖』ジュリアン・デュヴィヴィエ監督 1931年フランス

舞踏会の手帖
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2005年のクリスマスイブにアップした記事。洒落た設定ながら悲惨な結末を迎えるエピソードも多いのですが、最後の最後にホッとさせてくれます。フランス映画の良さが詰まった一本。


以下、転載文。


夫を亡くしたクリスティーナ(マリー・ベル)は子供も友人もなく一人ぼっちになってしまった。遺品整理をしていると、偶然彼女が16歳の初舞踏会のときの手帖を見つける。その手帖には彼女にダンスを申し込み愛をささやいた男たちの名前が。見失ってしまった自分の生き方を見つけるために、20年前に一夜の舞踏会を過ごした男たちを訪ね歩くことにした彼女。しかし20年の月日を経て彼らの境遇も大きく変わっていた・・・。

フランス映画には、独特のロマンティックさと現実に対する冷徹な描写が同居している、いかにもフレンチな作品がたくさんあって時々無性に見たくなります。この映画もいいですね。主人公のクリスティーヌが、昔の男たちを訪ね歩くオムニバス形式になっていますが、ひとつひとつのエピソードが短いながらも、実に良いドラマに仕上がっています。それぞれの男たちは彼女との思い出を引きずっていたり完全に忘れていたり様々ですが、共通しているのは、20年前とは境遇や容姿が大きく変わってしまっていることと、彼女との再会が彼らの人生の転機になること。

自分ごとで考えると20年前というと社会人になったばかりです。それからずいぶんといろんなことをやってきましたが、中には都合よく受け流してきたことや、やり過ごしてきた事、目をつぶってきたことなどもたくさんあります。当時ひと時でも想いを寄せた女性が突然目の前に現れたら。しかも、彼女は昔と変わらず美しかった(少なくとも自分にはそう見えた)ら。昔の純粋でたくさん夢を持っていた自分を思い出すかもしれません。このままじゃいけないなんて思うかもしれませんね。クリスティーヌと再開する男たちも、彼女を通して昔の自分と改めて対面することで人生の転機を迎えたのでしょう。

それぞれの男たちを演ずる男優陣はすばらしく個性的で、詩の朗読がうまいロマンチストで今はギャングのボスになってしまったルイ・ジューベや、彼女を昔と同じダンスパーティにエスコートする手品のうまい美容師フェルナンデルなど風貌・演技ともに個性的な名優がそろっています。

しかし、その転機は必ずしも彼らの人生にプラスになるものではないところがフランス映画のフランス映画たるところです。あまりにも現実に染まってしまった自分の姿を再確認する彼らに訪れる転機は、時に彼らの人生に終止符を打つような厳しい展開になります。そして、その引き金となり転機の場に居合わせるクリスティーナも失望ばかりを味わうことになります。

そういう悲観的なエピソードが続いたあとで、最後にたずねたフェルナンデルのエピソードだけがほっとさせてくれて、彼女の将来にも光が差した感じでほっとしました。評価は星5つ★★★★★

<スタッフ&キャスト>
監督: ジュリアン・デュヴィヴィエ Julien Duvivier
脚本: アンリ・ジャンソン Henri Jeanson
撮影: ミシェル・ケルベ Michel Kelber
    フィリップ・アゴスティーニ Philippe Agostini
    ピエール・ルヴァン Pierre Levent
音楽: モーリス・ジョーベール Maurice Jaubert
出演: マリー・ベル Marie Bell
    フランソワーズ・ロゼー Francoise Rosay
    アリ・ボール Harry Baur
    フェルナンデル Fernandel
    ルイ・ジューヴェ Louis Jouvet
    ピエール・リシャール=ウィルム
    ガブリエル・フォンタン Gabrielle Fontan
    シルヴィー Sylvie
    ピエール・ブランシャール Pierre Blanchar

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テーマ : クラシック映画
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#0117『雄呂血』二川文太郎監督 1925年日本

雄呂血
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最近また、1920年代くらいの映画を良く見ていますが、日本では大正時代。和暦で聞くとその古さがより実感できますね。このころの日本映画というと、まったく観た事がありませんでした。”バンツマ”坂東妻三郎の名前は聞いたことがありましたけど。田村正和のお父さんですよね。

この映画は、日本映画の中でもかなりエポックメイキングな作品。大体初期の映画では、正義は正義、悪は悪、そして正義が必ず(圧倒的な強さで)勝つというわかりやすい作品が主。でも現実の人間社会はそう単純に物事運びませんよね。したがって、映画も成熟とともに現実世界の道理に近づいていきます。

冒頭に、”世人、無頼漢と称する者必ずしも真の無頼漢のみに非ず。善良高潔なる人格者と称さるるもの、必ずしも真の善人のみに非ず”とあるように、『雄呂血』のストーリーはそれまでの日本映画にはない現実の厳しさ・冷たさを語るものとなりました。

正義と義侠の心にあふれながら、ほんの少しの我慢が足りなかったり、考えの足りない行動が原因でどんどん悪人の汚名を着せられ、身を滅ぼしていく若侍九里富平三郎(坂東妻三郎)の物語。まあ、現実的というか、現実でもそこまでは・・・というくらいひどいことが続きますけど、展開のメリハリが効いててノリがよい筋運びなのですぐに物語に引き込まれてしまいました。だんだんよれよれになっていく阪妻の演技が哀愁こもってていいんですよ、また。表情なんかも意外と自然。

もうひとつ感心したのは映像。製作総指揮の”日本映画の祖”牧野省三が映画を語るに”1スジ(シナリオ)、2ヌキ(撮影)、3ドウサ(演技)。その二番目の撮影がかなり凝ってます。スーパーインポーズとかフェードなんかも使う。”ならず者”と恐れられるようになった平三郎が、さらわれてきたお千代に迫るシーンで、悪心にはやる平三郎をズームイン、正気に返る彼をズームアウトする場面なんか、平三郎の心の葛藤がものすごくよく表現されてるんですよね。

クローズアップなんかもすごくうまいと思うんですよ。この時代、アメリカ映画でもこんなに撮影凝ってたかなぁ。かなりのレベルであることは間違いない。で、やっぱり極めつけはクライマックスの大立ち回り。この場面素晴しい。クレーン撮影なんでしょうね。俯瞰とスリリングなカット割りで大迫力。これはすごい。他にも、半鐘を鳴らす役人のシルエットがドライヤーの『バンパイア』みたいだったり、結構いろんなところで感心しました。そうそう、台詞(サイレント映画用にポイントになるせりふを字幕で見せるもの)の字体を変えたり、大きな字にしたりで感情を表現するなんてこともしてます。

もうひとつ初体験だったのは活弁。このところずっと見てるチャップリン短編集のDVD-BOXに、永井一郎氏の活弁っぽいナレーションが入っているんですけど、今回見たVHSはプロ中のプロ名活弁士松田春翠氏のフル活弁つき。見事な芸ですね。最後の立ち回りの最中は一切しゃべりを入れないところなどもツボを心得ていらっしゃる。

登場人物のせりふだけじゃなくて背景とか心情とか全部見事に弁じてくれるので、トーキーよりわかりやすいくらい。日本の映画ファンに限ってはサイレントからトーキー化されたとき、かえって映画がわからなくなったんじゃないかしら。そう思えるくらいでしたね。

でも、これ良し悪しなんだろうなぁ。この作品と松田春翠氏の活弁はぴったりマッチしていて違和感はありませんでしたが、作品の性質によってはじっくり画面から映画の風情を読み取りたいと思うこともあるはず。なんていってもそれがサイレント映画の楽しみですからねぇ。そういう作品でこうやられちゃちょっと困るかも。

とにかく、『雄呂血』は面白かった。ちょっとクセになりそうですねぇ。機会があれば一度ご覧になったほうがいいと思いますよ。絶対。★★★★☆

<スタッフ&キャスト>
監督:二川文太郎
原作:寿々喜多呂九平
脚本:寿々喜多呂九平
撮影:石野誠三
総指揮:牧野省三
助監督:村田正雄/宇沢芳幽貴
出演:阪東妻三郎
    関操
    環歌子
    春路謙作
    中村吉松
    山村桃太郎
    中村琴之助
    嵐しげ代
    安田善一郎
    森静子

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#0116『三十九夜』アルフレッド・ヒッチコック監督 1935年イギリス

三十九夜
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2005年10月ですから、ブログをはじめた月に9番目の記事として“オールド・ムービー・パラダイス!”にアップしたものです。なんか、今読むと恥しい~(苦笑)。しかし、そこはブログの完全統一を目指して、お粗末ながら。。。しかし、ヒッチコックの作品はもう一度観ないといけない頃に差し掛かっているなと、この記事読んでてそんな気がしてきた。


以下、転載文。


劇場で知り合った女性に頼まれ、自宅につれてきたカナダ人外交官ハネイ。話を聞いてみると、女性はイギリスのスパイで、ある国家機密をめぐって命を狙われているという。確かに、窓の外には怪しい人影。そして、あろうことか彼女はその夜、背中にナイフをつきたてられて死んでしまいます。疑われたハネイは辛くも自宅を脱出し彼女の代わりにスコットランドに行こうとします。警察とスパイ両方の執拗な追跡はどんどん彼を追い詰めていき・・・。最後の秘密の隠し方は奇抜。

イギリス時代後半の作品ですね。前年に、「暗殺者の家」があります。暗殺者の家は、イギリス時代におけるヒッチコック最高のヒット作となりましたが、その実績により、本作以降は自由にテーマを選べる立場になったということです。本作はヒッチコックが名監督として世に認められた第一作ということですね。その記念すべき第一作に選んだのが、崇拝するジョン・バカンの「39階段」。

ちなみに、主人公のハネイはバカンの原作「39階段」では鉱山技師ですが、この事件を機にイギリス情報部のスパイとなり、その後一流のスパイとして立派に5つの長編の主人公を務めたということです。本作のハネイの艱難辛苦を見ているとさもありなんと納得しますね。

”どこかで見たシーン”が満載!典型的な巻き込まれ型サスペンス。逃亡につぐ逃亡、危機一髪の脱出、手錠につながれた主人公とヒロイン、逃亡の中で徐々に形成逆転し犯人を追い詰めていくスリル。ヒッチコック自身が「北北西に進路を取れ」の下敷きに用いたばかりでなく、最近でも同様の趣向をいろいろな映画・ドラマで見かけます。そういう意味では、現在のサスペンスドラマ(映画も含めて)の源流となった映画であるといえますね。

また、ドラマの密度が濃いのが特徴です。枝葉(経緯や背景説明)をばっさり省いて、サスペンスフルな場面のみを次々と見せていくという感じで、ワンシーンも見逃すことができません。ヒッチコック自身が「(もっとも)らしさなんて追求しても時間の無駄だ」と言い切っていますが、このあたりがヌーヴェル・ヴァーグに大きな影響を与えたコアの部分なんですね、きっと。

個人的にはほんのちょっとだけ息継ぎのできるシーンも混ぜてくれてもいいかなと感じたのは事実ですが、どこまで逃げても現れる追っ手の影と次々繰り広げられるイベントにぐぐっと引き込まれていく感覚はさすがヒッチコックです。後に続くヒッチコック・スタイルはこの映画ですでに力強く形になっております。★★★★☆

<スタッフ&キャスト>
監督:アルフレッド・ヒッチコック
原作:ジョン・バカン
脚本:チャールズ・ベネット/アルマ・レヴィル/イアン・ヘイ
撮影:バーナード・ノールズ
音楽:ルイス・レヴィ

出演:ロバート・ドーナット
    マデリーン・キャロル
    R.マンハイム
    ペギー・アシュクロフト
    マイルズ・メイルソン


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(2006/12/14)
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#0115『蜘蛛女のキス』ヘクトール・バベンコ監督 1985年ブラジル/アメリカ

蜘蛛女のキス
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お願い:完全ネタバレです。作品内容を知りたくない方は読まないでください。

ブエノスアイレスの刑務所で同じ房に収監されているバレンティン(ラウル・ジュリア)とモリーナ(ウィリアム・ハート)。バレンティンは筋金入りの革命闘士、モリーナは街で未成年者を誘惑して収監されたホモ。まったく接点のない二人が次第に心を通わせていく様を描く。原作はマヌエル・プイグ。

二人の間で、ある映画の話が頻繁に語られる。ナチの将校を愛してしまうレジスタンスの歌手レニ(ソニア・ブラガ)の物語。モリーナは、映画を隅々まで再現するように緻密に、陶酔しつつ語る。彼(彼女)にとって、それは純愛の物語である。しかし、革命しか頭にないバレンティンにとっては、祖国を売った裏切り者の物語以外の何ものでもない。しかも、彼にとって映画などは忌むべき無駄な娯楽にすぎない。バレンティンは、モリーナに背を向け、彼(彼女)の話を鼻で笑う。一方、モリーナも囚人というつらい現実から映画の世界に逃避しているにすぎない。

まったく接点のない二人の関係に変化が現れるのは、モリーナが所長に呼び出されてから。母の容態が悪化しているのに保釈の可能性はないと告げられ悲しむモリーナだが、実はバレンティンを探るスパイになることを強要されていた。

バレンティンから情報を聞き出すために、食事に薬が盛られる。バレンティンが食べるはずの皿をモリーナが食べたため一度目は失敗。二度目にバレンティンが薬入りの皿を取る。この一連の出来事が二人の関係を急速に縮めることになる。反発しあいながらも互いの容態を心配し看病することで、今まで閉ざされていた互いの心の底を垣間見る。

モリーナは“本物の男”への愛にのみ生きることに憧れ、身も心も女になりきっているように振舞っていた。しかし、実は自分が本物の女ではないと言うことに身を切るような絶望感を抱いている。彼女は“本物の男“を心から求めるのだが、”本物の男“が愛するのは”本物の女“である。一方のバレンティンもまた、楽しみも喜びもすべてを捨てて革命に殉じると公言していた。しかし、実は恋人マルタに対する思いを捨てきれない。そして、同時にそんな自分を責めているのである。

バレンティンとモリーナ。対極の二人に見えたが、本当は、理想とする自分に対して、どうしてもそうなりきれない自分がいて、そのことに対して深い悲しみを感じ、苦しんでいる同類であったのだ。にほんブログ村 映画ブログへ

モリーナの心情は、彼(彼女)が何度か心のうちを吐露するため把握しやすいが、バレンティンは鉄の闘志で外面を固めているため、めったなことでは本音を口にしない。そんなバレンティンが心のうちをさらけ出したのはモリーナの行いによってである。

腹痛に倒れたバレンティンは、ひどい下痢に襲われパンツの中に脱糞してしまう。ここでのモリーナの振る舞いは素晴しい。「ひどい臭いね・・・」と一言だけ言うものの、その後はいやな顔ひとつせず、「情けない・・」と消沈するバレンティンをなぐさめながら、ズボンを脱がせ、パンツを脱がせ、シャツを脱がせる。自分のタオルできれいに身体を拭いてやり、自分のバスタオルで彼をくるんで、ベッドに寝かせる。ここまでのいたわりと献身を示すことができるのは母親をおいてほかにはいない。母のごとき無償の愛情を示されて、ついにバレンティンは隠していた心情を語る。

モリーナはバレンティンを愛し始めるのだが、一方所長からはたびたび呼び出されて情報収集の成果を問われる。この立場を利用して、豪華な食料品やタバコをせしめるモリーナの生活力はいかにもおかしいが、彼女をめぐる板ばさみの事態は徐々に切羽詰ってくる。モリーナは出所をきっかけにバレンティンから情報を聞き出すことを約束し、ついに二人は別れることとなる。

翌日保釈されることをバレンティンに告げ、モリーナは蜘蛛女の映画の話をする。しかし、これは映画ではなく、モリーナが自分の切ない心情をこめた作り話である。蜘蛛女は間違いなくモリーナ本人。蜘蛛女は、自分の身体から出した蜘蛛の糸に束縛され一人無人島で暮らしている。その束縛はモリーナの“本物の女”になれないという根源的な苦しみから来ているのだろうが、バレンティンを愛してしまった今となっては、所長に抱きこまれて裏切り行為を働いていることも大きな束縛となっているに違いない。

無人島にまったくそぐわない真っ黒なラメのドレスを着込み、一人で暮らす蜘蛛女のもとに流れ着いた男はバレンティンである。蜘蛛女は、食べ物を与え、傷の手当てをし、愛を注いで彼を生き返らせる。モリーナが刑務所の中でバレンティンにしてきたことそのものだ。そして、気がついたバレンティンに蜘蛛女は涙を流す。

「なぜ泣く・・?」というバレンティンの質問に、モリーナは答えることができない。答えられるはずがない。「なぜ、いつも説明させるの・・?私だって疲れて苦しんでるのに・・・」そう答えるのが精一杯のモリーナの心情が悲しい。しかし、彼女はついに愛を告げ、思いはバレンティンに届く。最後の夜に二人は結ばれる。にほんブログ村 映画ブログへ

翌朝、モリーナは任務の失敗を所長に告げるが、所長は以外にもあっさりと彼女の言葉を受け入れ、司法大臣からの保釈許可証を手渡す。バレンティンの元に戻ると彼は同志リディアの電話番号と伝言を告げようとする。頑なに拒否するモリーナ。もうバレンティンを裏切る必要はない。いったんはあきらめるバレンティンだが、彼の最後の言葉がモリーナの決心を変える。「外に出たら、二度と踏みつけにされるな、誰にもそんな権利はない」。自分のうつろな人生を悔いて生きてきたモリーナはついにその伝言を聞いた。そして二人は最後のキスをする。

出所したモリーナは、母の元に戻り、昔の仲間たちとも再会する。しかし、彼女"本物の男”への愛を得たモリーナの心はうつろである。ついに公衆電話からリディアに連絡をとり、会うことを約束する。しかし、彼女には公安警察の監視がついていた。

眠っている母に別れを告げ、目印の赤いスカーフを身につけて約束の場に向かうモリーナ。公安警察にレジスタンス組織との接触の現場を襲われる。そして、助けを求めたリディアに、口封じのために射殺される。彼女は愛するバレンティンのために、危険を承知でリディアに会った。それは、自分の空ろだった人生へのけじめでもあった。

モリーナの遺体が、公安警察の手によって廃材置き場にうち捨てられた頃、バレンティンは激しい拷問を受け、虫の息で刑務所のベッドに横たわっている。死の瞬間、彼の元に現れたのはマルタ。彼の魂は、現世での革命という鎖から解き放たれて、マルタと二人、監獄から抜け出し、穏やかな海にボートで漕ぎ出していく。。。

モリーナの切なる想い。遂げられたかに見えたバレンティンへの想いは、しかし、今際の際のバレンティンには届かなかった。バレンティンはやはり"本物の女”マルタを愛していた。。。

モリーナの心情があまりにもやるせなく、行き場がない。★★★★★

<スタッフ&キャスト>
監督:ヘクトール・バベンコ
製作:デヴィッド・ワイズマン
原作:マヌエル・プイグ
脚本:レナード・シュレイダー
撮影:ロドルフォ・サヴチェス
音楽:ジョン・ネシュリング

出演:ウィリアム・ハート
    ラウル・ジュリア
    ソニア・ブラガ
    ホセ・リュウゴイ
    ヌーノ・レアル・マイア
    デニス・デュモント

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#0114『にんじん』ジュリアン・デュヴィヴィエ監督 1932年フランス

にんじん
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新作記事アップにもう少し時間がかかるため、もう一本転載記事をお届け。2006年8月の記事でデュヴィヴィエ監督の『にんじん』。記事冒頭に『望郷』の話が出ていますが、ペペル・モコの破滅も実にうまく描かれていました。フランス人監督の中でも当時の日本で特に人気があった人です。


以下、転載文


例のごとく暗転していくにんじん(ロベール・リナン)の運命は実に丁寧に描かれている(今回は初めからかなり暗めだが)。

前回レビューした「望郷」と同じく、さまざまな出来事が積み重なってにんじん少年を自殺へと駆り立てていくくだりは、デュヴィヴィエ監督さすがの演出。特に、一度父(アリ・ボール)との交流が芽生えて立ち直ったかに見えたにんじんが父の選挙パティーで再び孤独感を深めていくシーン。にんじんの身なりを見て笑う子供、飴をくれないおばさん、パーティーの混雑でにんじんをドンと突き飛ばさしていく男、忙しいから少し待っていろと言う父親などひとつひとつはどうということもないきっかけが積もり積もっていく様子が計算されつくしたように描かれる。

開巻15分くらいでルピック家の様子が説明されるが、にんじんの家庭がうまくいっていないことはこの時点から明らか。まだ年端もいかない少年が「家族とは、共感しあえないものが同じ屋根の下で暮らすところ」と言ってはばからない。にんじんは父のことをルピック氏、母(カトリーヌ・フォントネ)のことを奥さんと呼ぶ。

父は全く無口で無関心。母はそんな夫の様子にいつもわめきちらし、特ににんじん少年に対してだけ辛く当たる、長男長女は自分のことしか考えず、末のにんじんはそんな家族の中で顔色を伺いながら生活している。

唯一の理解者は、家族ではなく、新しく雇われた女中アネット。何くれとなくにんじん少年を気にかけ、勇気付けてくれるが、これはにんじん少年をめぐる環境改善には全く役立たない。逆に彼女の存在が母親の意地悪さの引き立て役という感じ。加えて、叔父さんの娘マチルド(コレット・セガル)の可憐さと彼女との結婚ごっこが微笑ましいが、これもやはりにんじんの不幸な家庭環境を強烈に引き立てており、デュヴィヴィエ監督の執拗さに思わず感心してしまう。にほんブログ村 映画ブログへ

にんじんをいじめる母親も、実は愛情に飢えている。夫から愛されなくなった腹いせがにんじんに向かっているというところらしい。馬車のシーンでにんじんの肩にやさしく手をかけようとする母親と、それを払いのけて馬車を暴走させるにんじん。母親もにんじんに優しくしたい(しなければいけない?)という思いは皆無ではないらしい。が、すでにそんな思いも通じないほどにんじんとの間の溝は大きい。

父と息子が家族について語り合うシーンで、父はにんじん少年に「家族には和合と理解が必要だ」と諭す。にんじん少年の「家族は愛し合うべきではないのか?」という質問にも「もちろんだ」と答えるが、だからといって母親ともう一度理解しあうよう努力しようとはさらさら考えていない。「かあさんもかわいそうな女だ」というのみで、母親に関してはなんの解決も与えられず、父と息子の相互理解と息子の救済(一時の?)のみが描かれている。

現実問題で考えても、一度切れてしまった家族の絆がそう簡単に元通りになるわけもなく、そういう意味ではきわめて現実的なシーンだと言えるが、「家族とは、共感しあえないものが同じ屋根の下で暮らすところ」という冒頭で述べられた状況は、少なくとも母親に関する限り何も変わらない。一人ぼっちだったにんじんに父親と言う理解者ができたが、結局母親とは対立していくだけで問題はその後も続くにちがいない。

これが”リアル”ということなのだろうなぁと納得してみるのだが、見かけハッピーエンドのようで全く心が晴れ晴れとしない。そのあたりもまんまと監督の術中にはまっているということなのだろうか。★★★★☆

<スタッフ&キャスト>
監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ
原作:ジュール・ルナール
脚本:ジュリアン・デュヴィヴィエ
撮影:アルマン・ティラール/ティラール・モンニオ
音楽:アレクサンドル・タシスマン
出演:ロベール・リナン
    アリ・ボール
    カトリーヌ・フォントネ
    コレット・セガル

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#0113『素晴しき放浪者』ジャン・ルノワール監督 1932年フランス

素晴しき放浪者
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現在『蜘蛛女のキス』の記事を書いておりますが、今日中に間に合いそうにないので、『素晴しき放浪者』を転載しました。

2006年8月の記事ですが、この作品は、”ホントにクラシック映画って面白いなぁ”と感じさせてくれた映画で、見終わって少なからず興奮気味、文章も錯乱気味ですね・笑。

未見の方にはストーリーすら良くわからない文章になっていますので多少補足しますと。(ネタバレしてます)

ここに登場するレスタンゴワ氏(シャルル・グランバル)というのは、パリのセーヌ河沿いで書店を経営する紳士なのですが、ある日、目の前の川に飛び込んだ浮浪者を救出するんですね。この浮浪者がブーデュ(ミッシェル・シモン)。助けられた彼は、そのままレスタンゴワ氏の元に居候することになるのですが、ブーデュには世間的な常識や配慮が一切ないわけです。結果、文化人であり常識人であるレスタンゴワ氏の生活をブーデュがめちゃくちゃにしていくわけですが、これが実に愛すべき自由人ぶり。食事にけちをつけたり商売の邪魔をするのは茶飯事で、高価な本につばを吐き、婦人や女中(レスタンゴワ氏の愛人)まで誘惑する始末。最後は、その女中と結婚することとなって、ついに彼も所帯を持って年貢の納め時かと思ったのもつかの間、新婚の河くだりの船から落ちてどこかに流れていってしまう。なんとも天真爛漫な作品でした。

以下、転載文

ネタバレですよ

もう10日以上も前に観終っているこの”素晴らしき放浪者”。ずっと書きかけのレビューを抱えたままアップできずにいます。面白くなかったわけじゃなくてですね、あんまり見事なのでどう書いていいものやら・・。

” ミッシェル・シモン演ずる放浪者ブーデュがとにかく素晴らしい。言う事・やる事・容姿・風貌・着ているものまで、すべて気に入った。というのも、自分の中にブーデュをうらやましいと思う気持ちがあるからで、ひょっとしたら(レスタンゴワ氏に代表される)現代人はみんな、多かれ少なかれそんなことを感じるんじゃないか”

と、書きたいことはこの程度なんですが、あまりの作品のおおらかさを前にしてなにを書いても小賢しい感じがして、書いては消し、書いては消し・・・。

最近読んだ、中条省平著「フランス映画史の誘惑」に、ジャン・ルノワールについて「<詩的レアリスム>という狭い美学的基準には到底おさまりきれないスケールの大きな作家」とありますが、本作品を観て全く納得しました。

伸びやかというか大らかというか、時間とか空間とか常識とか、すべてから自由な主人公ブーデュの姿が、なんともいえない幸福感を与えてくれます。

レスタンゴワ家で散々追い掛け回していた女中アンヌ・マリと結婚することになって、結婚式後の川くだりの船上、ミシェル・シモンの顔芸は最高ですよ。「あれれ、なんか変なことになってきたぞ」といわんばかりの困り顔は絶品。おかしさも最高潮です。

レスタンゴワ家ですったもんだの挙句、だんだん文明人化して、さすがの”素晴らしき放浪者”ブーデュもついに年貢の納め時かというときに、あろうことか

”流れてきたはすの花を拾おうと手を伸ばす”
”船が転覆して川に落ちる”
”そのままブーデュはどこかに流れていってしまう”
”流れ着いた先で案山子の服を着込んで、また放浪生活に戻っていく”

・・・・・・て、最高でしょう、これ。

この一連のくだりは、テンポといいリズムといい、今までの映画で観たこともないほどの見事なシーンです。このあたりは、百万言を費やしても映像を観ない限りはほとんどなにも伝わらないと思いますんで、ネタバレを恐れず書いちゃいましたけど。

このシーンから発散する爽快感というか幸福感というかそういうものをきっちり受け取りたいなと、とにかくそう思いました。

なんか、書いてることが支離滅裂ですけどね、とにかくこのシーンだけは見たほうが良いと思いますよ。自分の中の深いところにある願望がゆさぶられてそこから幸せな気分になります。いやぁ、ルノワールってホントにすごいわ。★★★★★

<スタッフ&キャスト>
監督:ジャン・ルノワール
原作:ルネ・フォーショワ
脚本:ジャン・ルノワール
撮影:マルセル・リュシアン
音楽:ラファエル/ヨハン・シュトラウス
出演:ミシェル・シモン
    シャルル・グランバル
    マルセル・エイニア
    セヴェリーヌ・レルシンスカ
    ジャン・ダステ


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素晴らしき放浪者素晴らしき放浪者
(2000/02/25)
ミシェル・シモン、シャルル・グランバル 他

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#0112『チート』セシル・B・デミル監督 1915年アメリカ

チート
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今回は新作記事のアップです。1915年、巨匠セシル・B・デミル監督による『チート』。日本の大俳優早川雪洲の出世作です。雪洲が白人女性に焼きごてで刻印するというショッキングな場面が話題になりました。

かなり昔の映画ですので、簡単にストーリーをご紹介しておきましょう。

株式仲買人リチャード・ハーディ(ジャック・ディーン)は全財産を賭けた大勝負の最中だが、そんな彼を尻目に妻エディス(ファニー・ウォード)は、やりたい放題の浪費三昧。妻を熱愛し、彼女のためだけに仕事に励むエディスもさすがに堪忍袋の緒が切れ、ついつい彼女に小言を言ってしまう。夫に浪費をたしなめられた彼女は面白くない。遊び友達であるビルマの象牙王アラカウ(早川雪洲)に何かと愚痴をこぼします。

ある日、パーティで株の儲け話を持ちかけられたエディスは、遊ぶ金欲しさの誘惑に負け、赤十字の会計係として預かっていた基金の金1万ドルをつぎ込んでしまった。しかし、エディスの投資は失敗。その上基金の金も翌日には返済しなければいけなくなる。

窮地に陥ったエディス。彼女に邪まな想いを寄せるアラカウが援助を申し出る。わらにもすがる思いでアラカウから1万ドルを借り受けたエディスは、なんとか基金の金を返済しことなきを得る。アラカウへの返済期日となるが、リチャードの投資が大成功。エディスは真相を隠して夫に1万ドルをねだり、小切手を受け取ってアラカウに金を返しに行く。

しかし、エディスを我が物にすることが目的だったアラカウは小切手を受け取らず、彼女への思いを遂げようとする。もみ合いになった上、アラカウはなんとエディスに焼きごてを押し当てる。アラカウの所有の印である焼印がはっきりと彼女の左肩に残る。悶絶しつつもエディスはアラカウの銃で彼の肩を射ち何とかその場を逃れる。

直後に妻の行動を不審に思ったリチャードが現われる。アラカウが血まみれで倒れる現場に、自分の振り出した1万ドルの小切手を見つけたリチャードは事情を察し、駆けつけた警察にアラカウを撃ったのは自分であると告げる。そして、リチャードの裁判が始まる。。。

”雪洲””焼きごて”ばかりがクローズアップして語られますが、観て驚き、作品として非常に緊迫感あふれる傑作でした。

撮影面で印象的なのは、冒頭の暗い室内でアラカウが置物に焼きごてで刻印をしているシーンの明暗感(ストーリーの暗示としても秀逸)、およびその焼きごての本番シーン。このシーンは、エディスを組み伏せた雪洲の髪振り乱した形相と、瞬間一筋立ち上る煙というごく簡単な映像だけで、ジュッという音と絶叫が聞こえてくるような壮絶なシーンを実現しています。サイレントならではの名シーンです。

しかし、それ以外映像面では単純な方で、ほとんど水平の固定カメラで人物の全身もしくは上半身を撮るという感じ。観客の視線は舞台を見ているのとほぼ同じなので、この緊迫感の源はシナリオと演出の妙。

エディスの物欲、リチャードの愛情、アラカウの冷酷、三人三様の有り様をくっきり描きわけ(演出も見事です)、それが前半のクライマックスである焼きごてシーンにぎゅっと収斂するのです。強烈なインパクトを持つこのシーンも、そこにいたる筋運びの巧妙さがあってこそ。

また、後半の法廷シーンでは、自分の身代わりとして裁判にかかった夫を思い改心したエディスとリチャードの夫婦愛と、冷酷な東洋人への憎悪に二極化されてこれまた見事な対比となります。そして、真相を知り荒れ狂う傍聴人たちが津波のようにアラカウに襲いかかる、これまたインパクトのあるシーンにきっちりつながります。

脚本を担当した、ジャニー・マクファーソンという人は、デミル監督に信頼されていたらしく、1910年代のデミル作品の多くに関わり、20年代の巨編『十誡』や『キング・オブ・キングス』でも脚本を担当しています。彼のシナリオとデミルのメリハリの利いた演出がこの作品の真髄であるといえましょう。

また、主役早川雪洲とファニー・ウォードの演技ももちろん秀逸。
デミルが本作品の製作に当たって、当時舞台(剣戟芝居だったらしい)に出ていた早川雪洲を発掘します。雪洲は当時まだ市民権を得ていなかった活動写真などに出るつもりはなく、とんでもない出演料を吹っかけます。しかし、デミルはそれを二つ返事で了承し、映画史に残る名優早川雪洲が誕生しました。雪洲はこの映画をきっかけにハリウッドのスターにのし上がったわけですが、抗う女性に焼印を押すような極悪人にもかかわらずこれほどの人気を得たのは、やはりその美男子ぶりゆえ。あのふてぶてしく、冷たく、謎めいた視線が当時のアメリカ女性には東洋の魅力を感じさせたのでしょう。「雪洲がスクリーンでこちらを見るから」と、女性たちが入念に化粧をして映画館に向かったという逸話は有名。しかし、日本では、「女に焼印を押すような非道な日本人がいるはずがない」と大変な反感を招き、国辱俳優とされ、その後長く日本に帰ることができなくなりました。在米邦人からの抗議も激しく。製作当初は日本人”ヒシュル・トリ(鳥居?)”という設定でしたが、1918年にビルマの象牙王”ハカ・アラカウ”と変更されたそうです(このDVDは変更後バージョン)。ということで、この作品も結局現在まで公開されていません。

さらに、雪洲に加えて相手役のファニー・ウォードがうまい!小悪魔的な若妻から、借金に追い込まれて苦悩にのた打ち回る姿、最後の法廷シーンで夫の無実を訴えるシーンなど芝居上手。ブロードウェイやボードビルでコメディエンヌとして活躍していた彼女の映画デビューはこの『チート』。その後26作品に出演していますが、彼女のデータを調べてみて驚いたのは、なんと、1871年生まれ、この作品のときは44歳だったということ。早川雪洲より18歳も年上だったんですねぇ。いつも、実年齢より20歳~30歳若い役を演じていたそうですが、さすがに無理になって女優を引退したのが49歳のとき。引退後パリで”若さの泉”という美容室を経営していたということです。。。
女性はすごい(いや、怖い)。★★★★☆

<スタッフ&キャスト>
監督:セシル・B・デミル
製作:ジェシー・L・ラスキー
脚本:ヘクター・ターンブル
ジャニー・マクファーソン
撮影:アルヴィン・ウィコッフ

出演:ファニー・ウォード
    ジャック・ディーン
    早川雪洲
    ジェームズ・ニール
    阿部豊

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チートチート
(2004/09/24)
早川雪洲、ファニー・ウォード 他

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#0111『激斗の河(戦ふ隊商)』オットー・ブローワー、デヴィッド・バートン監督 1931年アメリカ

激闘の河
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今回は、2006年3月にアップした記事。当時、『真昼の決闘』での憂いを帯びた中年の瞳に魅せられてゲイリー・クーパーを追っかけてたんですね。クーパーはこの作品の前年に『モロッコ』でマレーネ・ディートリッヒと競演して脚光を浴びましたが、当時はこういう(B級?)西部劇によく出演していました。作品は人情コメディ西部劇と言う感じですが、やっぱり渋いクーパーの方が好みだなぁ。と、思いを新たにした作品。

以下、転載文

西部開拓の歴史に鉄道が登場する頃。ある幌馬車隊が2500キロかなたのカリフォルニアを目指して出発しようとしていた。ところが、幌馬車隊の若いガイド役クリント(ゲイリー・クーパー)は酒場の喧嘩が原因で保安官に逮捕されてしまう。困った老ガイドビルとジムは、隊に合流させろと頼み込んできたフランス娘フェリス(リリー・ダミタ)に協力を求めて、彼女をクリントの新妻に仕立てて保安官を説得し、彼を救い出すことに成功する。お互いに意識しあいながら旅を続けるクリントとフェリスだが、その行く手ではインディアンが虎視眈々と襲撃のチャンスを狙っていた。

活きのいい若者クリントと少しおてんばなフランス娘フェリスの恋の物語ですが、物語の上で重要な位置づけにあるのは二人の老ガイド、ビル(アーネスト・トーレス)とジム(タリー・マーシャル)。クリントの育ての親でもあるこの二人、鉄道建設前の西部の男の象徴のような”じさまコンビ”で、非常にいい味を出します。

じさまコンビは鉄道の進出によってガイドの仕事の地位が危うくなってきたことを認めたくない。それで自分たちが育てたクリントにも自分たちと一緒にガイドとして旅を続けて欲しいわけですね。しかし、クリントがフェリスと結婚してしまうと安定した家庭を求めるフェリスにクリントをとられてしまうと思い、いろいろな入れ知恵をして二人の恋のじゃまをします。

そもそも自分たちの計略がきっかけで二人は急接近したわけで、あわてて二人の邪魔をしようとするあたりのやりとりがなかなか楽しいのですが、最後の最後は二人が本当に愛し合っていることを知ります。二人はクリントにガイドの時代が終わることを告げて、彼女と結婚することを勧めます。親心ですねぇ。いい場面です。(直後にクリントから年寄り呼ばわりされて殴りあいになるあたり、さらに笑わせてくれますが)。

クライマックスでついに襲ってくるインディアンの大群。タイトルどおり河をはさんだ大戦闘が迫力十分ですが、その戦いでも”じさまコンビ”は撃ち倒した相手の数を競うようなハリきりぶり。大活躍の末、壮絶な最期を遂げるじさまたちとともに、古き良き幌馬車時代も終わりを遂げるのでした。

ゲイリー・クーパー追っかけ中です。若いですね。1931年の作品ですから、30才ですか。”真昼の決闘”で見せた、あの世界の不幸をすべて背負い込んでしまったような苦しそうな表情(実は撮影時胃潰瘍で本当に苦しかったらしい・・・)とは程遠く、元気いっぱいで体も良く動きます。

でも、20年後の初老の彼のあの苦悩の表情が忘れられないんですよね。もうすでにあの時期は人気に陰りが見え始めていたそうですが。いまひとつ”若い”ゲイリー・クーパーにはいりこむことが出来ませんでした(もみ上げの辺りがちょっとカール気味で、フラメンコダンサーみたいで変だし・・・)。

手元に、前年の1930年に撮られた”モロッコ”がありますので、もう一作この時代のゲイリー・クーパーを観賞してみようと思います。この時代のゲイリー・クーパーにも入れ込めますように^^★★★☆☆

<スタッフ&キャスト>
監督:オットー・ブローワー/デヴィッド・バートン
原作:ゼイン・グレイ
脚本:エドワード・E・パラモア・Jr/アグネス・ブランド・リー
撮影:リー・ガームス/ヘンリー・ジェラード
 
出演:ゲイリー・クーパー
    リリー・ダミタ
    アーネスト・トレンス
    フレッド・コールマー
    タリー・マーシャル
    ユージン・パレット
    ジェーン・ダーウェル

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戦う隊商(激斗の河)戦う隊商(激斗の河)
(2006/12/14)
ゲイリー・クーパー、リリー・ダミタ 他

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#0110『間諜X27』ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督 1931年アメリカ

間諜X27
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ネタバレ注意!

前回の『モロッコ』に引き続き、簡単な記事ではありますが、もう一本マレーネ・ディートリッヒの作品を転載します。2005年10月にアップした記事で『間諜X27』。こちらのディートリッヒはさらに愛に対してストレートで、頑なで、ストイックなカッコ良さを見せてくれます。vHSしかなかったのですが、最近TSUTAYA DISCASに入ったので再見したいと思います。


以下、転載文


「私は生きることを恐れていないわ。死ぬことも同じ。」

第一次大戦さなかのウイーン。マレーネ・ディートリッヒ扮する娼婦は冒頭こうつぶやきます。軍人であった夫を亡くし、娼婦に身を落としながらも国に対する忠誠心はなくしていません。その忠誠心を買われて、オーストリアのスパイX27となったディートリッヒは一流の腕を発揮し、オーストリア軍内部の裏切り者を摘発。彼が通じていたロシア軍の大物スパイH14を追うことになります。

激しいスパイ合戦の末、一度はH14に捕らえられ窮地に立たされますが、土壇場の機転で立場は逆転。彼女はロシア軍の重要機密を持ち帰ることに成功し、その情報を元にロシア軍は敗走。H14は捕らえられ、スパイとして処刑が確定します。

しかし、戦いの中で彼を愛してしまったX27は尋問中に彼の逃亡を助けたことにより、軍法会議で反逆罪に問われ、死刑を言い渡されます。

スタンバーグ監督が ”ディートリッヒのためだけに作った映画” といわれている作品。冒頭のずれたストッキングを直すしぐさから最後に銃口の前で口紅を塗りなおすシーンまで、ディートリッヒの魅力は、いやー、すごい。本作品では、いつものクール&ビューティな姿だけではなく、使用人に変装したスッピンに近いディートリッヒも見ることができます。

ストーリーも陳腐なわけではなく、ヴィクター・マクラグレン扮するロシアの情報将校H14との丁々発止のスパイ合戦はサスペンスとして十分楽しめます。楽しめますが、やはりこの作品はディートリッヒその人を愛でる作品。女として愛に殉ずる一途さ、激しさ、潔さ。

彼を逃がしたあとの彼女のサバサバした態度を見ていると、彼女にとっては愛のために死ぬことなどなんでもないことなのだということがわかります。彼女がスパイとなったのも、祖国に対する忠誠心からではないかもしれない。国への忠誠のために死んだ、亡き夫への愛が彼女を国のために働かせた理由だったのではないかと思います。敵国ロシアの将校を愛してしまった以上、当然任務より愛を優先するのは彼女にとっては当たり前の行為だったのでしょう。

「なんか、H14を愛するようになる過程が唐突で安易よねぇ」などと、斜に構えてはいけません。愛に対する信念を貫いた潔い女、そういう存在としてのディートリッヒの生き様・死に様をとくと観賞することにいたしましょう。★★★★☆

<スタッフ&キャスト>
監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグJosefvonSternberg
脚本:ダニエル・N・ルービンDanielN.Rubin
ジョセフ・フォン・スタンバーグJosefvonSternberg
撮影:リー・ガームスLeeGarmes

出演:マレーネ・ディートリッヒMarleneDietrich
   グスタフ・フォン・セイファーティッツGustavVonSeyffertittz
   バリー・ノートンBarryNorton
   ヴィクター・マクラグレンVictorMcLaglen
   ワーナー・オーランドWarnerOland


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#0109『モロッコ』ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督 1930年アメリカ

モロッコ
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本日も一本、”オールド・ムービー・パラダイス!”からの転載記事をお届けします。
マレーネ・ディートリッヒゲイリー・クーパー競演の『モロッコ』。クールなディートリッヒがヒールを脱いで、裸足でクーパーを追って砂漠をいくシーンが良かったですねぇ(記事で触れてませんが。。。。)。2006年3月に書いた記事ですが、当時はゲイリー・クーパーのほうに興味があったようです。


以下、転載文。


モロッコに流れ着いたクラブ歌手のアミー(マレーネ・ディートリッヒ)は、外人部隊の色男トム(ゲイリー・クーパー)と出会い恋に落ちるが、彼は事件を起こし前線に送られてしまう。一途に彼女を愛するフランス紳士ベシス(アドルフ・マンジュー)の求婚を受け入れ孤独を癒すアミーのもとに、トムが戦闘で重傷を負ったという知らせが届く。

ドイツから米国に招かれ、これがハリウッドデビューのマレーネ・ディートリッヒが主演。そのお相手が西部劇の超二枚目スター、ゲイリー・クーパー。とくるともうこの二人以上のみどころは皆無。ひたすら美男美女のメロドラマに酔いつぶれるのがこの作品の正しい見方でありましょう。

監督はマレーネ・ディートリヒのためにそのキャリアを捧げたといってもいいジョセフ・フォン・スタンバーグ。ディートリヒの美しさをいやというほど見せてくれます。

実際、スタンバーグ監督はディートリヒと別れてしまったあと50年ころはもうもぬけの殻。ハリウッドでも過去の人扱いだったそうで、それほどディートリヒに賭けていたんだと思うと作品を見る眼も違ってきます。

マレーネ・ディートリヒは”間諜X27(1931)”でレビューしていますが、30歳前後のこの時期は実にすばらしい。しかし、よくみるとディートリヒの表情というのは、微笑み/無表情のほとんど二つしかないように思えるんですね。

マレーネ・ディートリヒとヴィヴィアン・リーは、私の中でかなり好きな女優さんですが、喜怒哀楽のすべてにわたって感情表現の職人のようだったヴィヴィアン・リーとは対照的(ヴィヴィアン・リーは舞台の人だからというのもあるかもしれません)。なぜ、これだけ表情のバリエーションが少ないディートリヒが魅力的なのだろうと改めて見ていたのですが、ああ、なるほどと気づいたことがひとつ。

クーパーが鏡に口紅で書いた有名な別れのメッセージ(I Changed my mind...)。突然彼が消えてしまった後、翌朝彼が前線へと向かうところにベシスと一緒にディートリヒが現れ、特に取り乱すこともなくトムの出征を見送ります。

肩越しに振り向いて兵士の行列を見送るディートリヒの微笑顔にも余裕ありげなので、心に深手も負っていないのかと思っていると、その後クラブの楽屋でディートリヒは酒びたりになってしまっているらしい。

ベシスが訪れると、また例の微笑み。なんだ?意外と落ち着いているな。しかし、鏡台にむかうディートリヒを追いかけてカメラが鏡を映し出すと、そこにはまだ消されることなく例のトムのメッセージが。そして、微笑んでいたディートリッヒがいきなり持っていた酒をそのメッセージにたたきつけます。

このあたりの激変ぶり、これが彼女の魅力なんですよね。普段あんまり表情に出さないだけに、「ああ、実は心の中ではこんなにも傷ついていたのか・・」とまずはハッと気付かされます。そして「なんて一途な女なんだろ」としみじみ思ってしまうと、ほら、あの美貌ですから、もうディートリッヒのとりこになってしまうのです。笑

そういうことなので彼女の感情表現の少なさは、むしろ、ほんのたまに見せる感情の吐露とのギャップが際立って閃光のような魅力を発散します。有名なラストシーンも同じような構造だなぁと改めて見惚れました。

マレーネ・ディートリッヒ命のスタンバーグ監督が彼女の特質をうまく活かしたものなのか、それとも計算しつくされた演技なのか、私は知りませんが見事な演出ですなぁ。

さて、ゲイリー・クーパー追っかけ中ですが、この”モロッコ”を観るのはまずいなと思ったんですよ。以前”間諜X27”でディートリッヒにはかなり惹かれていたので、きっとクーパーのことはどうでも良くなってディートリッヒばっかりみちゃうだろうなぁと・笑

結果、その通りになてしまったのですが、クーパーも良かったですよ。前回の”闘ふ隊商”では、クーパーのクローズアップがあまりなかったこともあり、今ひとつ印象が定まらなかったのですが、今回はディートリッヒを一途に惚れさせる女好きでありながら一本筋の通った兵士トム・ブラウンがぴたりとはまり、実に華やかです。

ゲイリー・クーパーは実生活でもかなりの色男ぶりだったそうですが、クラブでディートリッヒからこっそり受け取った鍵を見ながらひそかに笑う、その笑顔辺りを見ると、こりゃたまらんでしょうね、女性には。

この作品から西部劇にとどまらずハリウッドを代表する二枚目としてクーパー人気に火がついたということですが、十分うなづける好演でした。

しかし、しつこいようですが52年の”真昼の決闘”で見せたクーパーの苦渋に満ちた表情。あれが心に残ってしかたがないのですよ。あの、初老のクーパーと30年代の色男全開のクーパーの間のギャップが大きすぎて、今ひとつぴんとこないので、その中間40年代のゲイリー・クーパーを一本観てみたいと思います。

ということで、次回はフランク・キャプラ監督でバーバラ・スタンウィックと共演した”群集(1941)”

(ディートリッヒのDVDが家にあったらそっちに流れていくところだった・・^^;)★★★★☆


<スタッフ&キャスト>
監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ
原作:ベノ・ヴィグニー
脚本:ジュールス・ファースマン
撮影:リー・ガームス
出演:
ゲイリー・クーパー
アドルフ・マンジュー
マレーネ・ディートリッヒ
ウルリッヒ・ハウプト
ジュリエット・コンプトン
フランシス・マクドナルド
アルバート・コンティ

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#0108『巴里の屋根の下』ルネ・クレール監督 1930年フランス

巴里の屋根の下

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久しぶりに“オールド・ムービー・パラダイス!”から転載記事をひとつ。

2006年5月に掲載した記事で、ルネ・クレールの『巴里の屋根の下』。アルベール・プレジャンの歌声も楽しい詩的レアリスムの名作ですね。少々、「一生懸命調べて書きました!」って感じの記事ですが、一応オリジナルのままで転載。ご容赦ください。


以下、転載文


1930年代フランス映画黄金時代の幕開けとなった記念すべき作品。フランス初のトーキー作品でもあります。

30年代のフランス映画の特徴に”リアリズム”というキーワードがあります。同じリアリズムでも、戦後のイタリア映画などでは、ロケを多用した大変現実的な映像が見られますが、いわゆるリアリズム=現実描写という言葉から連想されるのとはちがい、この作品の舞台となるパリの町並みはすべてセットで作られています。美術監督ラザール・メールソンは、この作品で目に映る限りのすべての風景をセットで作り上げました。彼はクレールの「巴里祭」やジャック・フェデー「外人部隊」「女だけの都」など歴史に残る名作の美術も担当しています。

そのメールソンが作ったパリの町並みは実に魅力的です。冒頭のパリの遠景からアルベール(アルベール・プレジャン)が歌う街角にクローズアップされる間、画面に映る街の風情が実に素敵です。よーく見ると建物のサイズが少し小さかったり、壁のラインがちょっと傾いていたりするのですが、不思議とそこになんとも言えない説得力があり、物語の舞台として独特の味わいを生み出しています。

歌う人々の姿越しに向こうのアパートの窓で洗濯ものをパタパタと干している人がいたり、カメラがクレーンにのって上昇していく間に、アパート各階の部屋の奥まで覗けたり。また、天井の煙突から炊事の煙が立ち昇っていたりもします。こういうディテールまで丁寧に作りこまれ、いかにも当時のパリらしい雰囲気が漂います(いや、実物は見たことはないですけどね)。

この時代の映画作りとして、実際に存在する風景・場面でもわざわざセットを組んで撮るということが頻繁に行われたそうです。ほんの少しの建物の線の出し方とか、ロケでは撮影不可能な角度からカメラに絵を収めることで、客観的なリアリティというよりも、監督や脚本家の美的感覚をリアルに表現する、そういう意味でのリアリティを追求した結果の工夫でした。

1930年という時代にこれだけの映画技術が尽くされていたということを考えると、このセットを見るだけでもこの作品を見る価値は十分にあるのではないかと思います。

フランス初のトーキーとしてこの作品を演出するときに、ルネ・クレールは会話・音声をすべてのシーンに盛り込まず、6割方に音声ををつけず音楽などをバックに演技をさせたのですが、その演出が成功していることは疑う余地がありません。このあたり、キネマじゅんぽうさんの記事がとてもわかりやすいのでぜひご参照ください。

「音なし演出」で特に気に入ったのは、アルベールとルイ(エドモン・T・グレヴィル)にちょっかいを出してきたチンピラの相手をどちらがするかでけんかになってしまうシーン。サイレントのコメディそのものの楽しいシーンです。こういう場面でも舞台となる酒場のセットの精巧さや小道具のしゃれた使い方が、ちょっと奇抜な”サイレント的なトーキー演出”をしっかりとサポートしています。

もうひとつ印象的なのは、アルベールが歌うシャンソンもとても素敵なこと。登場人物の一人が”耳にこびりついて離れん!”と言うとおり、見終わってから1ヶ月たっても忘れられないメロディです。

今まで見たフランス映画でははじめて楽しく見終わった一本でした。(ん?ラストがかわいそう?アルベールにとっては間違いなくあれが一番いい決着でしょう。)★★★★☆

監督:ルネ・クレール
脚本:ルネ・クレール
撮影:ジョルジュ・ペリナール/ジョルジュ・ローレ
音楽:ラウル・モレッティ/アルマン・ベルナール

出演:アルベール・プレジャン/ポーラ・イルリ/ガストン・モド/エドモン・T・グレヴィル

詳しい作品情報はこちら
⇒allcinema
⇒IMDb(英語)

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#0107ミューチュアル時代のチャップリン短編映画-1(1916年)

チャップリンの消防夫
『チャップリンの消防夫』

1916年、ミューチュアル社に移籍したチャップリンのサラリーはなんと週給1万ドル+ボーナス15万ドル。当時、国王でもなければ、この半分の収入を得る人間もいなかっただろうといわれたほどの高給取りとなります。1916年はきちんきちんと月に一本のペースで作品を製作し、『消防夫』『番頭』『スケート』など傑作を送り出します。もともとのドタバタギャグアクションについては名人芸の域に達しており、中には特殊撮影ではないかと見まごうシーンも多々あり。加えて、『放浪者』にあるような人情味も姿を見せはじめます。

『チャップリンの替玉』THE FLOORWALKER 1916年5月15日 チャールズ・チャップリン監督 
後に多くの映画を監督するロイド・ベーコンが売り場主任役でチャップリンのそっくりさんを熱演。作品の雰囲気はキーストン調のドタバタ劇。別名を『チャップリンのエスカレーター』とも言い、デパートのエスカレーターがギャグアクションのキーアイテムになっており、目いっぱい活用して大笑いさせてくれます。しかし、1910年代にもうエスカレーターってあたんですね。
不正を働いているデパート支配人と売り場主任。本社から探偵が派遣されて来ると聞き、大金をカバンに詰めて逃げ出そうとしますが、なかなか逃げられない。たまたま売り場主任とそっくりだったチャップリンは、何も知らずに身代わりを務めますが・・・。大金の入ったバッグをめぐって、支配人、売り場主任、チャップリンの大騒ぎ。

『チャップリンの消防夫』THE FIREMAN』 1916年6月12日 チャールズ・チャップリン監督
ダメダメ消防夫のチャップリンは消防隊長の悩みの種。何をやらせてもろくに働かないチャップリンには手を焼きっぱなし。そこにやってくるのが、金持ち紳士とその娘エドナ・パーヴィアンス。エドナは消防隊長の婚約者らしいのですが、父の方は火災保険詐欺を計画中で、娘との結婚をダシにして、隊長に消防の手抜きを約束させます。しかし、金持ち紳士は、あろうことか二階に愛娘エドナがいることに気づかず自宅に放火。駆けつけたチャップリンの大活躍によってエドナは助け出され、二人は相思相愛となってハッピーエンド。
フィルムの逆回転などの工夫も見られる有名な短編。この頃のチャップリンは、すでに世界一高給取りの超売れっ子コメディアンですから、役者としての演技の切れも最高。頭の先から足の先まできっちりと筋の通ったアクションで魅せてくれます。また、監督としてのチャップリンの演出も見所。こちらも小道具の配置からチームアクションの演出まで、笑いに対して無駄がありません。気絶している消防隊長の巨体が疾走する消防馬車から転げ落ちてすっぽり道路の穴にはまるところなど傑作。

『チャップリンの放浪者』THE VAGABOND 1916年7月10日 チャールズ・チャップリン監督
これまでの作品と趣が変わって、どちらかと言えばギャグよりストーリー重視。しかも、後のチャップリンの真髄と言うべきペーソスに溢れた筋立て。今までのドタバタシチュエーションと切れの良いギャグアクションで笑わせる作品から、明らかに新しいスタイルへの挑戦が見えます。ラストがハッピーエンドになっているところが後々の作品と違うところ。
酒場でバイオリンの弾き流しをしているチャップリン(バイオリンを弾く小指一本でも笑わせるところがさすが)。酒場で一騒動起こした後、あてもなく歩くうちにジプシーの一家と出会います。父に殴られこき使われているかわいそうな娘(エドナ・パーヴィアンス)を救出して二人で逃げ出したチャップリン。汚れた彼女の顔や髪を洗ってやるやさしいシーンもあり少し驚き。しかし、チャップリンに洗ってもらってきれいになった娘エドナは、水を汲みに行って、その美しさに目を留めた画家のモデルとなり相思相愛になってしまいます。展覧会で発表されたエドナの絵をきっかけに、実は彼女が幼い頃誘拐された金持ちの一人娘であることがわかり、迎えに来る実の母と画家。恋心を隠して彼女を見送るチャップリン。一人残されて悲嘆にくれる彼の元に、やはりチャップリンと別れ難いエドナ戻ってきて、最後はチャップリンも一緒にお金持ちの車で去っていき、一件落着。

『午前一時』One AM
 1916年8月7日 チャールズ・チャップリン監督
チャップリン一人芸の極致。ベロンベロンに酔っ払ったチャップリンは、午前一時(どう見ても真昼間ですが)にタクシーでご帰還。自室で、足ふきマット、トラの敷物、山猫の剥製、コート掛け、収納ベッドなどと絡みまくります。今や名人芸となった階段落ちや、出たり引っ込んだりする収納ベッドとの格闘は、これぞチャップリンという至芸。

『チャップリンの伯爵』 The Count 1916年9月4日 チャールズ・チャップリン監督
ペーソス溢れる『放浪者』、一人名人芸を見せる『午前一時』に続く9月の作品は、いったんキーストン調のドタバタ劇に戻ります。懐かしい拳銃乱射シーンも復活。しかし、ストーリーにしてもシチュエーションにしてもキーストンの頃より丁寧に豊かになっているところがさすがチャップリン。
洗濯屋のドジ店員チャップリンは、預かりもののシャツをアイロンで焦がしてしまって、あえなくクビ。昔馴染みの女中を頼ってお金持ちの屋敷にやってきます。屋敷では娘エドナのために伯爵を招いてパーティの準備中。そのころ、チャップリンをクビにした洗濯屋の主人は、伯爵から預かったシャツからパーティの招待状を発見。ちゃっかり正装してパーティに乗り込んできますが、居合わせたチャップリンに偽伯爵の座を横取りされてしまいます。こうして、偽伯爵のチャップリン、秘書役にされた洗濯屋主人、エドナにその父、それに遅れてやってきた本物の伯爵が参加していつものどたばた大騒ぎが展開。

『チャップリンの質屋』 The Pawnshop 1916年10月2日 チャールズ・チャップリン監督
チャップリン人気をさらに高めたミューチュアル時代の傑作短編。『チャップリンの番頭』という邦題もあります。客が持ち込んだ時計をチャップリンが壊してしまい、結局一銭も貸さずに追い返してしまうシーンは中でも評判になった場面。淀川長治氏はチャップリンの意地悪さが怖くてイヤだったと書いていました。傑作なシーンですが確かに後のチャップリン作品に見られるような人情味はかけらもありません。その他にも、見事な脚立使いやパイ投げ(パン生地ですけど)などギャグ満載。
質屋の店員チャップリンは、今日も遅刻。店主にしかられ、そりの合わない先輩社員とは店主の目を盗んで小競り合いの連続。見るからに仕事はいい加減、客あしらいも適当。しかし、押し入った強盗をやっつけて万事OK

『チャップリンのスケート』 The Rink 1916年12月4日
11月に『チャップリンの舞台裏』という作品があるのですが、映像がないため12月作品のこちらを。この作品もミューチュアル時代を代表する作品ですが、ギャグよりもストーリーよりも何といってもチャップリンのローラースケートテクニックがすごい。
前半はレストランでのドタバタ。チャップリンがレストランの給仕を勤める作品はいくつかありますが、このシーンも定番のギャグで笑わせてくれます。しかし、本番は仕事を抜け出したチャップリンがとなりのスケート場に行ってから。かわいいエドナを追い回す仇敵スタウト氏(エリック・キャンベル)との絡みはすごいの一言ですね。つま先からてっぺんまで笑わせる動作を研究し尽くしているチャップリンですが、その基礎となる技術も半端じゃない。このあたりがプロのプロたるべきところ。
(参考文献:「チャップリンのために」 大野裕之編集 とっても便利出版部発行より)

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#0106『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』ヴィム・ヴェンダース監督 1999年ドイツ/アメリカ/フランス/キューバ

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ここしばらく私的にワールドミュージック人気が急上昇中。特にキューバ・ブラジル・アルゼンチンなどのラテン音楽が頭の中を駆け巡っている今の私にとって、この映画は観る前から、もう★5つ献上!

『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』・・・タイトルの響きからしてエキゾチックで良いではないですか。もともとは、キューバに実在した会員制の音楽クラブの名前。そして、97年にライ・クーダーがキューバの埋もれた老音楽家を発掘して結成したバンドの名前。そして、ヴィム・ヴェンダースが監督したこの映画のタイトル。実にサマになっている。

ちなみに、内容はバンド"ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ”のコンサートシーンと、老音楽家たちの語り。この二つの要素を映画は行ったりきたりして、音楽が絶妙にその間をつないでいます。曲を披露することが目的ではないので完奏される曲はほとんどありません。

この際、ヴィム・ヴェンダースは置いといて、この映画の魅力は、音楽と人と国が一体となった”キューバ”そのものにあり。すなわち、ワールドミュージックの魅力そのものということです。

音楽の魅力は演奏される曲の素晴らしさとして受け取るべきもので、背景説明に感心するものではないと思いますが、このドキュメンタリーでは、半分の時間を老音楽家たちの語りで構成していながら、説明的にならないところが素晴らしいところ。

素朴な口調で語られる、決して平坦ではなかった彼らの人生。映像に映し出される廃墟寸前のキューバの街並み。そこでたくましく生活する人々の姿。この環境においてこの人生を送った結実として、70代、80代、中には90代という高齢にして、この素晴らしい音楽を演奏しうるのだということ。

そして、これだけの才能を持ちながら人々に忘れ去られていた彼らを見出したライ・クーダーの音楽的情熱にただただ感激するばかりです。

にしても、イブラヒム・フェレールの歌。。。★★★★★

<スタッフ&キャスト>
監督:ヴィム・ヴェンダース
製作:ライ・クーダー、ジェリー・ボーイズ
製作総指揮:ニック・ゴールド

出演:イブライム・フェレール
    ルベーン・ゴンザレス
    オマーラ・ポルトゥオンド
    エリアデス・オチョア
    ライ・クーダー
    コンパイ・セグンド
    ヨアキム・クーダー
    オルランド・“カチャイート”・ロペス
    アマディート・バルデス
    マヌエル・“エル・グアヒーロ”・ミラバール
    バルバリート・トーレス
    ピオ・レイバ
    マヌエル・“プンティジータ”・リセア
    フアン・デ・マルコス・ゴンサレス

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ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ・プレゼンツブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ・プレゼンツ
(1999/06/23)
イブライム・フェレール

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ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ・プレゼンツ・オマーラブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ・プレゼンツ・オマーラ
(2000/06/21)
オマーラ・ポルトゥオンド

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